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1997年といえばまだ10年ちょっと前だ。人々の記憶に新しい経済危機だ。 彼らは痛感したのだ。「外貨の稼げる人にならないと生きていけない」もしくは「外貨を稼ぐ企業で求められる人材にならないと生き残れない」と。 なぜなら彼らは1997年に見てしまったから。「韓国の中だけで稼げる人にはもはや価値がない」と。「ソウル大学を出ただけではダメ」なのだと。 翻って日本の中に「競争などしなくていいではないか、友愛で行こう」的な考えが拡がるのは、日本の今の世代に「世界に勝てない惨めさ」を実感している世代がもはや存在しないからじゃなかろうか。ここは、そういう気持ちを体感した世代が20年前に引退してしまった国なのだ。

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今はよく知らないがかつて「学級崩壊」というのが問題になったことがある。生徒の自主性を尊重し自由にやらせるというのは生徒自体がある程度のリテラシーを持つ場合でないとうまくいかず、多くの場合ただの無法地帯になってしまうことはよく知られた事実だが、それと似たようなことが近年の民意至上主義の流れの中で起こっているような気がする。社会科学系のリテラシーが以前より低下しているのか、それとも元々大したものではなかったのがエリートによる「密室」政治によって担保されていたのかはわからないが、おそらくは後者ではないだろうか。
今日のような、「良い大学に入りさえすれば人生は上々だ」的な人材が就職で大手に
はじかれるという現象を就職氷河期とするなら。
それは永遠に終わらない。
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